#日記 Day3

そういえば10月に宅建試験を受けたのだった。
もう解答速報は出ているはずだが、毅然として見る気はない。
どうせ12月には自ずと提示されるのだ。
同居人からは催促されているが、これは私自身の問題である。
早く安否を知ったほうが安心するでしょう、と言われたが、そうは思わない。
そこにリソースを割く労力が、無駄とは言わないが私にとっては必要がない、考えるだけで頭が痛くなる。
脳髄を引き千切りたくなるのだ。
何故人は、自分の尺度で安直に発言できるのだろうか。
殆どの人が、自分の言葉に責任を持てないというのに。
いや、捉える側が異常なのだろうか?だとしたら、やるせない。
しかし、私も言葉を扱う身。同罪なのである。
知らず知らずのうちに、他者を思考の渦に追い遣り、脳髄を攪拌させているのだろう。
そう考えると、やはり人は、言葉を発するようになり、言葉に翻弄されるようになり
やがて罪に塗れてしまうのだろうか。ジャンセニスムは正しかったのだろうか。
生まれ持った言霊がそうさせてしまうのだろうか。
だから私は、言葉を畏怖嫌厭し、文字を信仰するのだろうか。