#日記 Day12

母は人情深く篤い人ではあったが其の実、内に秘めているものがあったんだろうなあと思う。
私が幼少期の頃だろうか。
またしても記憶が空膜とした状態なのだがその情景だけは鮮明に覚えている。
それはハンバーグが食べたいと駄々を捏ねた日、暗鬱とした気持ちになるようなジメジメとした雨の日の事だ。
外で遊べず暇を持て余していた私はぼんやりとアナログテレビで料理番組を観ていた。
内容は普通のハンバーグに簡単アレンジを加えることによってミシュラン料理人もアッと驚く絶品料理になります!といった感じだった。
今であれば、左程変わらないであろうと聞き流していた事も、幼く好奇心旺盛な私にとっては革命的で早急に実践しなくてはという気持ちになっていた。
しかし生憎その頃は、一切料理をしたことがなく母に作ってくれと懇願するしかなかった。
母は面倒だなあと言いながらも今日の献立に丁度いいと解ったのか清く了承して、すぐさま準備をしてくれた。
問題はここからなのだ。
ハンバーグの素材である挽肉を捏ねながら観ていた映画に問題があるのだ。
確か「デスファイル」という映画だったと思う。
惨死体の映像をドキュメント風にナレーターが淡々と解説するだけの映画だ。
例えば、死蝋体であったり顔面がつぶれた死体であったり。
磨り潰した肉を捏ねながら観るものではない。
映画の内容も然る事ながら、母の猟奇的な思考に私は怯え、「ハンバーグの素材にする気か!」と狼狽した。
母は映画に夢中なのか訴えに気づくことはなく、私の恐怖をより一層、増長させた。
その日は只々、恐怖心に囚われ夕食であるハンバーグは肉塊の様だった。
そんな出来事があり今は何故、母はあの様な映像をみていたのだろうと考える。
遅くして私を産んだ母は死というものをどう捉えていたのだろう、とも。
結局は、何もかも遅くて聞けず仕舞いだったが、多分、私と同世代の子の母より一回り老いていたが為に、死が一層近く感じてしまい、自分の中で結論を出そうとしていたのだろう。
無理に決まっているが。
母の死因はくも膜下出血です。
やはり無理でしたね。
死について考えるなんて無謀です。
烏滸がましいです。
それではまた明日。グッナイ。