#日記 Day13

私の将来的理想図はサラリーマンとして会社に従事し、思考を放棄することだ。
なんとかしてこの脳髄を停滞させたいのだ。
机上の空論で阿呆者の戯言かと思うかもしれないが、それが最善の選択だと思っている。
この世界は情報量が多すぎるが故、そうするしかないのだ。
無論、他の選択肢というのは山ほどあるのだが、指標が曖昧で、終わりが全く見えない。
その点、サラリーマンというのは上限値が決まっている。
いや、上限値にすら届かないかもしれない。
しかし生きていく上で最低限の賃金さえもらえれば満足な私にとってはやはり最善だ。
そう考えると養う能力のない私には結婚は無理なんだろうなあ。
他者から神託が欲しいと渇望しているはずなのに、その努力さえしない。
嗚呼、怠惰なり、怠惰なり。
もしかしたら生きるのに向いてないのかもしれないなあ。
かといって死にたくもないしなあ。
生きていたいわけではないが、死にたくもない。
そして私は、静かに死ぬる、坐つたまんまで、死んでゆくのだ。

 

#日記 Day12

母は人情深く篤い人ではあったが其の実、内に秘めているものがあったんだろうなあと思う。
私が幼少期の頃だろうか。
またしても記憶が空膜とした状態なのだがその情景だけは鮮明に覚えている。
それはハンバーグが食べたいと駄々を捏ねた日、暗鬱とした気持ちになるようなジメジメとした雨の日の事だ。
外で遊べず暇を持て余していた私はぼんやりとアナログテレビで料理番組を観ていた。
内容は普通のハンバーグに簡単アレンジを加えることによってミシュラン料理人もアッと驚く絶品料理になります!といった感じだった。
今であれば、左程変わらないであろうと聞き流していた事も、幼く好奇心旺盛な私にとっては革命的で早急に実践しなくてはという気持ちになっていた。
しかし生憎その頃は、一切料理をしたことがなく母に作ってくれと懇願するしかなかった。
母は面倒だなあと言いながらも今日の献立に丁度いいと解ったのか清く了承して、すぐさま準備をしてくれた。
問題はここからなのだ。
ハンバーグの素材である挽肉を捏ねながら観ていた映画に問題があるのだ。
確か「デスファイル」という映画だったと思う。
惨死体の映像をドキュメント風にナレーターが淡々と解説するだけの映画だ。
例えば、死蝋体であったり顔面がつぶれた死体であったり。
磨り潰した肉を捏ねながら観るものではない。
映画の内容も然る事ながら、母の猟奇的な思考に私は怯え、「ハンバーグの素材にする気か!」と狼狽した。
母は映画に夢中なのか訴えに気づくことはなく、私の恐怖をより一層、増長させた。
その日は只々、恐怖心に囚われ夕食であるハンバーグは肉塊の様だった。
そんな出来事があり今は何故、母はあの様な映像をみていたのだろうと考える。
遅くして私を産んだ母は死というものをどう捉えていたのだろう、とも。
結局は、何もかも遅くて聞けず仕舞いだったが、多分、私と同世代の子の母より一回り老いていたが為に、死が一層近く感じてしまい、自分の中で結論を出そうとしていたのだろう。
無理に決まっているが。
母の死因はくも膜下出血です。
やはり無理でしたね。
死について考えるなんて無謀です。
烏滸がましいです。
それではまた明日。グッナイ。

 

 

 

#日記 Day11

煩くて何を喋っているのかわからないような音楽が好きだ。
耳を劈くような鋭利な声と楽器の音色が頭をからっぽにしてくれる。
何か精神に影響があるような出来事があっても、音楽を聴くと多少安定する。
考えてみると、音楽家ってのは凄い。声と楽器だけで人を魅了するのだから。
言葉を良しとしない私がいうのもおかしな話だけど。
いや、言葉とは多少違うのかもしれない。
なんだがそう考えるとやれない気持ちになるけれども、やはり音楽を聴くのはいい。
脳が認識できないほどの大音量で聴くとなお良い。
外出時はイアホンから音が漏れないような音量で聞く私はやはり人を気にして生きているのだろう。
でも他人のダダ漏れ音楽ほど不快なものはないし、自分がされて嫌なことはしないのが生きていく上で大切だ。
有難う母さん、私は少しだけそういう倫理的な思考を持ち合わせていたよ。
これも教育のおかげだ。もしかしたら小学校の道徳の授業のおかげかもしれない!
「人に迷惑をかけてはいけません」やはりこういうことなんだな!
迷惑ばかりかけていた私が必要としている言葉じゃないか!
少し、他の人よりは多く言われたであろう、その言葉を気にして生きていく、素晴らしいね。
教育とはやはり大切なことなんだろうなあ。

#日記 Day10

あれは一か月ほど前の出来事だっただろうか。
姉の会食に同伴した日の帰りに寄った個人経営のバーでの事だ。
そこはゲイカップルで経営しており、店内は薄暗く水晶や、アクアリウム、骨董品などで埋め尽くされていた。
ヒーリング効果を期待しての据置だろう。
体感では空気が澄んでおり、都内では味わえない清涼感を醸し出している。
しかし店内は、私と姉しか客はいない。
暇を持て余したカップルに手厚く接客され、談笑をしていると、ふと、カップルの一人が私に対して、
「ねえ、タロット占いしてあげよっか?」と言ってきた。
断る理由もないので、是非、とお願いしたが、其の実、占いの類は信用していない。
信憑性に欠けるからだ。
バーナム効果やらコールドリーディングを利用した心理的現象でしかないと思う。
それを未来透視とするのであれば、甚だ烏滸がましい。
いかにも陰湿な思考を滾らせていたら、やっと結果が出た。
結論をいうと、私は将来を思い悩んでいて、当分、恋愛はしてはいけないらしい。
何故確定的なんだ、と吐露しそうになったが既の所で抑えた。
占ってもらった私が悪いのだが、断る気が引ける気持ちもわかってほしい。
結局、占いは宗教などと同じで自分で答えを導き出せない人のための救済処置であると勘える。
別にそれ自体は構わないのだが、私は私自身で決めた相手の神託しか受けたくない。
そんな相手が現れたらなあ、と常々思う。
いや、実は、過去にいたのだが。
このお話はまた後日。

#日記 Day9

若おかみは小学生!の劇場版を観ました。
子供向けながらに攻めた内容で只々、舌を巻くことしかできなかった。
両親を交通事故で亡くし統合失調症になった少女が、旅館を経営している祖母に引き取られ、両親の代わりに跡取りとして育てられるお話です。
主人公であるおっこには色々なものが見えます。
それは幽霊であったり、鬼であったり、亡くなった両親であったり。
おっこはそれら全てが現実だと認識しており作中では両親に対して
「ねえ、お父さんとお母さんは生きてるんだよね?」と問いかけるシーンがあります。
無論、おっこが作り出した虚像なので両親は肯定します。
現実では、そこで統合失調症スペクトラムに陥るのですが、
さすがに子供向けアニメなので、物語が進むにつれ両親の死を受容し克服します。

しかし本作が素晴らしいのは、おっこが幽霊や客と関わっていくうちに自身で過去を克服するところにあると思います。現実は残酷で、こういった精神病理の問題は他者によって強制的に認識させられることが多く、私は本作の様な自己完結をするのは至難だと勘えており、現実と対比させた際により一層、この作品は価値を見出します。

演出も然る事乍ら、ストーリーも実に考えさせられる作品となっておりますので
ぜひ視聴してみてください。
まあもう上映期間過ぎているのですが・・・。f:id:okamehatimoku:20181111230747j:plain

 

#日記 Day8

酩酊した姉の彼氏がリビングで吐瀉物を撒き散らしたらしい。
らしいというのはその時は、寝惚けていて度々聞こえてくる情報群から推察したにすぎないからだ。
隣りの部屋からは彼氏の陳謝が鬱陶しい程、繰り返されている。
只今午前三時、きっと、朝に嫌われている私の起床は相変わらずだった。
それにしても、嘔吐するまで泥酔してみたいものである。
いや、アルコールの様な、人を惑わす魔性な何かを欲しているだけなのかもしれない。
私の場合、恬淡寡欲という訳ではなく、アルコールをいくら摂取してもただ少し脳がぼんやりと虚ろになり胃酸がせりあがるだけなのである。
何故、皆が理性を放棄し、気狂いになるのか不思議でならない。
代用品があるのであれば教えてほしい。法の範囲内であれば使用してみたい。
素面ではいられないほど、この世界は整いすぎている。
絶対的で変化のしようがない。だから私が歪むしかないのだ。

#日記 Day7

少し思いだした事があったので母が存命であった幼少期の話をしようと思う。
記憶がおぼろげで空膜とした状態なのだが、それでも文章として残して置きたくなった故、此処を記憶の墓石碑として使わせてもらう。

自分でいうのは億劫であるが、幼い頃は大層な悪ガキだった。
傍若無人な子供でいつも怒鳴られてばかりであった。
私の名前を大声で叫ぶ母の声は近隣住宅に響き渡る程で
近所の人からは「また○○くん叱られてるわね」と周知されていた。
虐待ではないと理解されていたので、慣行として受け入れられており
日を増すにつれて、母以外の人からも怒鳴られるようになった。
私を通して住民間コミュニーケーションをしていたのだと思う。
実際に、叱った後は住民間で談笑に勤しんでいたのだから、そうなのだろう。
結局のところ、人は何かキッカケがないと円滑なコミュニケーションをとれないのである。
それが、私を叱るという行為であっただけだ。
もしかしたら私は、迷惑をかけ、叱られた方が母親に益があると考えていたのかもしれない。
我ながら、歪んでいて、気持ちが悪い子供である。